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2014/6/21
一乗谷は、戦国時代に浅井氏と共に織田信長と戦った朝倉氏の本拠地です。谷の両端を土塁で塞ぎ防備を固めた町で、荒廃した京の都から文化人が移住してきた事もあり小京都として反映したようです。
その後の展開は、浅井、朝倉氏は織田氏に破れ、一乗谷も灰燼に帰しましたが、結果、その後の開発も行われず手付かずの状態で地中に町の跡が残されてきたようです。地元のガイドさんのお話でも、一乗谷周辺は発掘調査が行われるまで、田園地帯だったそうです。
そんな一乗谷が発掘調査の後、公園として整備され、一部の町並みが復元されています。もちろん、朝倉家当主の館が復元されたりはしていませんが、公園の規模の大きさには圧倒されます。これだけの規模の中世都市跡が保存復元されているとは、ちょっとした驚きでした。
大半は更地のような状態ですが、土塁群の整備状態も良く歴史好きなら妄想力全開で楽しめる事間違いなしです。
どうも、歴史を考える上で勝者を中心に考えてしまいますが、一時は繁栄した敗者の側に思いを馳せてみるのも中々良いものですね。負けた一族の本拠地なんて…と思わずに一度訪れてみて下さい。きっと世界観が変わると思います。
町並みは、意外と大規模に復元されています。
こちらは、武士の屋敷。
公園の真ん中を道路が通っているのですが、駐車場にクルマを停めるまでに見える景色だけで、ワクワクしてきます。
こちらは、当主の屋敷跡。
非常に広大な公園です。
意外と荒々しい土塁が印象的でした。軍事的に強国で有った朝倉氏ならではなのかもしれません。
山中に残る庭園跡。諏訪館跡庭園。館が無くなっても石の庭園だけ残っているのが印象的です。
城戸と呼ばれる町の入り口を守る土塁。こちらは上城戸。5mほどの高さが有ります。
こちらは下城戸。町の両端を土塁と関所で守っていたんですね。残念ながら城戸が織田勢を防ぐ事は無く、一乗谷は灰燼に帰しました。
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